2010年4月16日金曜日

ケファサバデモクラティックスクール

 次の日に訪れたのがケファサバデモクラティクスクールです。子どもの人権を尊重する活動をされてこられたヤエルさんが設立したデモクラティックスクールで、テルアビブから来るまで30~40分ほどのケファサバ市の緑の豊かな環境にあります。
 このデモクラティックスクールは設立から市の協力と支援を受けており、建物もこのデモクラティックスクールのために設計された鉄筋コンクリートの立派なものが市のお金でできています。ここで子どもたちに人気がある表現の一つにダンスがありますが、ダンスの建物があり、ダンス用のバーと一つの壁面がミラーになっていてダンスがやりやすいような環境も整っています。その他にも照明設備を備えた小さな劇場になる部屋、充実した美術のアトリエなどもあります。私たちが訪問した時は、子どもたちの作品を飾った美術展をしていました。
 日本のフリースクールでは難しいのですがここは建物の外の空間もゆったりしていて、バスケットなどができるスポーツのコート、屋外用の卓球台、野菜の畑、雨や日差しを避けておしゃべりができる東屋などがあります。
 この日は、まず音楽で私たちを歓迎してくれました。野外でステージを演奏する音響機材などの仕込みや操作では今のメンバーの子どもとサポートでOBの姿も見られました。キャンパスの中はやはりこどもがガイドをして案内をしてくれたり、簡単な飲食ができるカフェコーナーを作ってくれたりしてもてなしてくれました。

2010年4月14日水曜日

ヘデラデモクラティックスクール・続き

 ヘデラデモクラティックスクールは広場のようなオープンスペースを取り囲むように小さい平屋の建物がいくつも建っています。徐々に建物を増やしていったのだそうです。ヘデラには幼稚園年齢の子どもから18歳の子どもまでおり、幼稚園年齢の子どもたちの建物のように一定の幅の年齢の子どもたちのハウスの建物もあれば、音楽スタジオの建物や美術の工房の建物、図書室など用途に応じた建物もあります。年齢ごとのハウスには簡単な台所が付いており、簡単な煮炊きができるようになっています。
 この写真は美術の工房で撮ったものです。部屋では同時並行で絵の制作をしているしている子どもたちがいて、この写真の女の子たちから少し離れたところでは、もう少し年齢の大きな子がモノクロで細密な絵を描いていました。他の一角には映像の編集コーナーもあります。ヘデラでは様々な表現活動が盛んで、IDECではデイビッド・ホックニーのようなフォトコラージュの作品を展示する子もいたり、この日はライブラリーに大きなスクリーンを張って、映画館にして子どもたちの作った映像を上映していました。

2010年4月13日火曜日

ヘデラデモクラティックスクール

 最初の学校訪問は、ヘデラデモクラティックスクールです。ヘデラデモクラティックスクールはイスラエルで初めてデモクラティックスクールという名前を使い、現在のデモクラティックスクールの運動をリードしてきたところです。IDEの代表をしているヤコブさんが20代で1987年に設立したデモクラティックスクールです。
 この日は、大型バス3台に分乗してやって来たIDEC参加者たちを門の外から出迎えてくれました。子どもたちが実行委員会を作って私たちIDEC参加者をどう迎えるのかを準備してくれていたようです。最初は女の子2人のダンスを交えた熱烈な歓迎メッセージで始まり、音楽の生演奏、子どもたちが作った映像の上映会、タイルに思い思いの模様を描いていくクラフトのワークショップ、飲み物とお菓子のある休憩コーナー、バスケット、バレーボール、サッカーのスポーツコーナーなど様々な企画が同時に展開しており、訪問者はいつどこに行ってもいいというしくみでした。シューレ大学から参加した私たちには、前日にIDEC会場で知り合ってお食事の時に日本語とヘブライ語を教えあったアメリットさんが案内をしてくれました。

IDEC国際デモクラティック教育大会

 今回イスラエルを訪問したのは今回で18回目を数えるIDEC(国際デモクラティック教育大会)に参加するためです。IDECは、子どもが中心の教育をおこなっているフリースクールとかデモクラティックスクールとか呼ばれる場の子ども、親やスタッフや関心のある研究者や学生などが集まる国際大会です。1年に1回開かれる大会で09年は韓国(新型インフルエンザにより中止)、08年はカナダ、07年はブラジルなどのように世界各地でその地のフリースクールなどが主催してきました。
 今年は、テルアビブにあるIDE(デモクラティック教育研究所)の主催です。実は、IDECの第1回大会はイスラエルで、そのきっかけを作ったのが、IDEの代表をしているヤコブ・ヘクトさんでした。
 今回の大会は、4月6日から13日までで、テルアビブで開かれました。海外から約220人、国内からの参加者は1000人を越えるという規模の大きい大会でした。大会は最初の3日間が主催者企画のパネルディスカッションやワークショップとデモクラティックスクール訪問を中心とし、次の2日間が参加者が持ち込むワークショップやイスラエルの子どもたちのダンスの発表や写真の展示などがあり、最後の3日間でイスラエル各地のデモクラティックスクールを訪問するという日程でした。

壁を越えて(続)

 この写真は壁をイスラエル側から撮影したものです。丸い監視塔の上にあるのはイスラエルの国旗だったと思います。パレスティナ側ではここそこで壁は落書きだらけだったのに対して、イスラエル側ではあまり落書きがなかったように思います。それぞれの社会での壁の存在を反映しているように感じました。
 壁一枚で隔てられているパレスティナとイスラエルですから、きっと気候はあまり違わないのだと思いますが、景色はずいぶんと違っています。イスラエルの都市には緑が多く、春を彩る様々な色の花があふれるように咲いて美しいです。一方、パレスティナのベツレヘムでは緑はあるのですが、乾燥した大地に懸命に立っているというようにも見える草木の印象が強いものでした。パレスティナの人たちの話では水の分配が違っているからそうなるのだと語気を強めていました。

壁を越えて

 パレスティナとイスラエルは壁に隔てられています。イスラエルが治安の維持のためという名目で建てたものです。壁は基本的にぶ厚い背の高いコンクリートパネルで作られていて、ところどころに監視塔があり、超えることができないようになっています。
 この壁があることで、イスラエルとパレスティナが物理的に分断されているだけでなく、パレスティナの村同士も人の行き来ができにくくなっていると聞きました。また、壁の向こうが見えないことでより相手がわからない疑心暗鬼も増えていっているのだとも聞きました。物理的な壁が人の心の中にも入ってきてしまうのです。
 この壁の写真はパレスティナ側から撮ったもので、このような落書きはパレスティナ人や、パレスティナにやってくる外国人が描くのだそうです。
 平和教育を進める希望と花の学校のスタッフ、ガーダさんはデモクラティックエデュケーションはその社会の現状に根付いたかたちで、その社会で生きている子どもの生活に合うところからはじめなければいけない、とインタビューで語ってくれました。このインタビューを終えて、私達はベツレヘムとイスラエルの国境の検問所に行き、飛行場の手荷物検査や身体検査のように厳重なチェックを経て、その他のパレスティナの人と一緒に歩いて検問所を通ってイスラエルに入りました。

2010年4月6日火曜日

パレスティナ自治区ヨルダン川西岸、ベツレヘム

 今回滞在している場所は「パレスティナ自治区ヨルダン川西岸、ベツレヘム」およびその郊外の村ということになります。ヨルダン川西岸の自治区では3通りの状況があり、パレスティナの完全自治、イスラエルの治安地域、その中間形態だそうです。希望と花の学校がある場所はイスラエルが治安を掌っています。そのため、水の分配などをめぐって様々なトラブルがあります。
 この写真は、ベツレヘムの難民キャンプの一角で撮影したものです。インティファーダなどで死んだ人の絵や写真を壁に描くことがよくあるそうです。この写真もその一つではないかと思います。この難民キャンプには2万人以上が住んでおり、国連が環境の維持を担当しています。現在は治安は落ち着いてきており、生活も向上してきているのだそうですが、衛生状況などは不十分なのだそうです。ベツレヘムの失業率は40パーセントを越えていますが、難民キャンプの失業率はさらに高いそうです。そのことが社会の不安定や子どもの生活に様々に影響しているのです。
 希望と花の学校では、子どもの教育のみならず、地域の基盤を確かにするために、特に助成の経済力を付けることやインドで注目されているマイクロファイナンスなどの支援活動もしています。

平和教育

 この写真は、希望と花の学校の授業一つで、日々の生活の中で溜め込んだ感情を外に出すワークショップのひとコマです。この学校の子どもたちは貧しい地域から来ていたり、難民キャンプからも来ています。貧困や暴力が日常にあり、出合った子どもの一人は2年前に父親をイスラエル兵に殺され、引き続き母親も殺されてしまい孤児となり、現在孤児院から通ってきているのだそうです。
 ここでは、学級単位の授業などのほか、個別にスタッフが対応するプログラムが様々あり、一人一人の子どもにできるだけ必要なサポートをするようにしているのだそうです。こともが安心を感じられることがまず大切だとスタッフの一人が話してくれました。

希望と花の学校

 きのう4月4日からパレスティナ自治区、ヨルダン川西岸、ベツレヘム郊外にある希望と花の学校に来ています。希望と花の学校は1984年に難民キャンプで育ち、社会を変えるには教育が重要だと考えたフセイン・イッサ氏によって設立された学校です。暴力と貧困、差別により人々の苦しみが耐えないこの地域で、人々が人間らしい暮らしをしていくためには、平和と人権を尊重していく人が増えていくことが重要なのだと考えたのだそうです。
 だから、希望と花の学校では平和と人権を尊重する教育を行なっています。右の写真は希望と花の学校のロゴのようなもので校舎にあったものを撮影しました。

2010年4月4日日曜日

パレスティナより

きのうの夜10:20にイスラエルのテルアビブの空港につき、それから荷物を取り、換金してタクシーに乗り込みました。夜遅いとバスはなく、タクシーしかないと今回お世話になる希望と花の学校のガーダさんから聞いていたのです。空港からのタクシーで国境を越えてパレスティなの都市、ベツレヘムまでいけるということでした。ところが、イスラエルのタクシーの運転手は「パレスティナはイスラエルの警察権が及ばないからそんな怖いところにいくようなイスラエルの運転手はいない」というのです。乗り合いタクシーの運転手に何とか頼んでベツレヘムの国境まで連れて行ってもらいましたが、その運転手さんいわく、「こんな夜遅くに国境にはほとんど人がいないから君たちはここで何んにもないところで夜明かしをしなければいけないだろう、どうしてエルサレムで一泊してから行かないのか」とのこと。でも、結局、国境でパレスティナの白タクに乗り換えて、無事にガーダさんが手配してくれていた宿にたどり着きました。ちょっとした深夜の冒険でした。
 ゆっくり眠ることなく今朝は6時半前に早起きして朝食を済ませ、ベツレヘムの町へ撮影に行きました。この写真は道沿いで野菜を売っているお店の写真です。日曜日の朝なのに仕事熱心ですね。