2009年5月21日木曜日

トレチャコフ美術館へ行こう

トレチャコフ美術館はロシアを代表する美術館の一つです。もともとは富豪で絵画が好きで個人収集家であったトレチャコフが自分の収蔵品を自分の館で公開したことが始まりで、トレチャコフの収蔵品は後に国に寄贈されました。日本でも美術が好きな人やロシアの文化に関心のある人の間で広く知られており、現在も渋谷でトレチャコフ美術展が開かれています(Bunkamura ザ・ミュージアム)。このトレチャコフ美術館とMIFSが何の関係があるか、というと今日、20日にトレチャコフ美術館で演劇を上演するというわけなのです。
 MIFSは映画だけでなく演劇表現にも力を入れており、今までにも卒業生の中から多くの俳優が巣立っていっています。今回は『雪の女王』と『仔犬』などを上演します。
 MIFSの演劇は一人一人が演劇を自分にひきつけるということをとても大切にしており、上演する演劇を決めたら上演するチームでその演劇と作家の背景を手分けして調べてきてディスカッションしたり、役者は役者ノートを作りさらに自分が演ずる役を深めたりもしていきます。役者以外にも演出部や衣装、美術、音楽など様々な担当があり、それぞれが有機的につながりあいながら一つの舞台を作っていきます。時には合宿をして作品の解釈を全員で深めたり、音楽の担当者が中心になりながらも全員で劇中に使う音楽を決めていったりもするのです。また、音楽やダンスを効果的に使うのも特徴のひとつです。録音された音楽を流すだけでなく、生の音楽を劇中で演奏したり、歌ったり、また踊ったりするのです。美術・衣装も含め総合芸術としての演劇、という感覚があるのでしょうか。

2009年5月19日火曜日

中国の「ゲーム中毒少年」の治療施設

MIFSはモスクワ国際フィルムスクールの略称です。日本でも国際という名のつく学校は数え切れないほどあります。英語の勉強に力を入れているところが国際という子のだったりする学校もあるようです。が、MIFSの場合、自分たちにつながりがあるぐっと関心をひきつける何かが世界のどこかにあるのなら、その現地に行って自分たちにできる何かの行動をとって考えるというスタイルがあります。
今回の大会の数日前にロシアに帰国したプロジェクトは中国の「ゲーム中毒少年」の治療施設に行って来たのです。それは、ロシアにもゲーム中毒と言われる少年たちがいますし、MIFSにもそのような少年がいたことがあり、人事ではないと感じたからだそうです。中国の「ゲーム中毒少年」の治療施設は北京の軍隊の敷地内にあり、生活習慣の改善、衰えた体力の回復、人間関係を中心に子どもの世界観を変える、親も子どものゲーム中毒について学ぶというような趣旨のもので、心理学者が中心になって進めているのだそうです。日本はゲーム発祥の地の一つでもあり、発表をする人からMIFSについた時からコメントを頼まれていました。日本や韓国のことを紹介し、僕の意見もなぜ少年たちはゲームにはまっていかざるを得なかったのかを中心に、発言しました。なぜ少年たちはゲームにはまっていかざるを得なかったのかだけでなく、これからどうしていけばいいのかを討論しました。

2009年5月18日月曜日

子どもとスタッフ

 MIFSの国際大会の一日は子どもたちの歌声で始まります。MIFSには歌が好きな子がたくさんいて、食堂で食事を終えた時にだあれからともなく歌が始まったり、移動中のバスの中で歌が始まったりということはもちろん、毎日の生活の中に歌があります。この日歌われたのはコサックの歌の一つでした。
 この日のテーマは子どもにとってのオルタナティヴスクールや学校の意味でした。子どもがいる場所、子ども時代、というようなテーマが大会全体のテーマですから、このテーマを意識しながら話は進められます。この日は、スタッフが子どもから得ているものは何かというテーマで教育研究所の所長で研究者のドミトリーさんと対談することになりました。ドミトリーさんはモスクワにある「自己決定学校」というオルタナティヴスクールにスタッフとして関わっていたこともある人で、この対談はMIFSの代表のオルガさんの進行で行われスタッフと子どもの関係の対称性・非対称性などをめぐってフロアーととても活発な議論になりました。あっという間に予定の時間を過ぎ、この日の日程が終わったのは9時を過ぎていました。

教育局長との会食

 きのうの夕方、モスクワ市の南西教育局の局長と会食しました。写真の左から二人目のオレンジ色のジャケットを着た人が局長です。その左隣がMIFSの代表のオルガさん、その左隣がカナダのサイモンフレーザー大学で教えているカナダから来たリチャードさんです。一番右の人はMIFSの事務局長のダニエルさんです。
 この会食の目的はいくつかあります。MIFSは独自の教育を行っているオルタナティヴスクールですが、形の上では公立学校の一つで費用の一部もモスクワ市から出ています。そのため、5年おきに市の監査を受けなければなりませんし、教育局の理解がなければ意地悪をされることもありえます。そのため、MIFSが国際的に見てもすばらしい活動をしていることをアピールしたり、日本にオルタナティヴ大学があることを紹介して、MIFSの大学部門を作ることをしやすくするなどの目的があります。教育長さんはIDECのことも耳にしたことがあるようで、MIFSにかなり興味を持ってくれたようです。過去には理解を持ってくれない局長がおり、いきなり人事権を局に奪おうとするなどの事件もあったので、今回の局長とはいい関係が築けそうで良かったです。

2009年5月17日日曜日

モスクワ国際フィルムスクール


15日からロシアのモスクワ国際フィルムスクール(以下、MIFS)に来ています。MIFSが毎年この時期に開いている国際大会に話をするように招かれたためです。大会の今年のテーマは「子ども時代の危機」です。子どもがいる場所がなくなってきている、ということへの危機感、そのことの意味を問いたいという趣旨の大会です。
MIFSはソ連からロシアへと変わる動乱の時期に、その気に乗じて映画スタジオに集まっていた子どもたちと映画監督が作り出したオルタナティヴスクールです。大きな家族のようなふんいきのところです。

2009年5月8日金曜日

邪魔をされない自由がある

 案内をしてくれたキャメロン君以外にも何人かのサドベリーの子どもたちと話しをしました。彼ら彼女らが共通して言っていたのが「ここでは誰かから邪魔をされない自由がある」ということでした。大勢の人がお互いの行動の自由を規制しないですむための基本的な
決まりごとの土俵を踏まえていれば、個人のことは個人が決めるということが保障されています。
 学ぶことも基本的には個人ベースで、授業で学ぶというのでなく知りたいこと得たいことをそれぞれがスタッフに相談しながら進めていくスタイルです。スタッフは個別に対応していくということと、環境作りを丁寧にしていくようでした。環境の例で言えばサドベリーには大量の本がそろえてあります。これらの本は分野ごとに違う部屋に整理番号にしたがって配架されています。とても探しやすくなっています。呼んだ人はそれぞれに戻すのですが、わからない場合は近いと思う場所に寝かせておいておくと図書委員会が戻してくれるような仕組みができているのです。また、こういった考え方や実践を明快に言葉にして様々な本や冊子にまとめて発信しています。

2009年5月7日木曜日

サドベリーバレースクール訪問

サドベリーバレースクールにつくと今までに3回会ったことのあるミムジーさんが見学の手続きを取ってくれました。ミムジーさんは設立当時からスタッフをしている人で、グリーンバーグ夫妻を含め4人のスタッフが設立当時からいるのだそうです。ご夫妻は、東京にこられた際に通訳をして以来お会いしていなかったので再会を楽しみにしていたのですが、残念ながらご不在でした。
 ミムジーさんがキャメロン君という16歳の少年にキャンパスの紹介を頼んでくれて、屋敷の中はもちろん、広い緑の一部と納屋も案内してもらいました。キャメロン君は14歳の時にサドベリーに入って、自分がしたいことをできるところが好きだといっていました。サドベリーは朝8時半から午後5時までの間に子どもが5時間いるというのがきまりです。何時に来て何時に換えるのかはそれぞれの子どもが自分で決めています。キャメロン君はこの日の午後に用事があるのでこの日は早く来たのだそうです。友達と一緒にいたかったりするので、5時間以上いることが多いといっていました。

2009年5月6日水曜日

ボストン郊外のフラミングハム

 これはフラミングハムの駅の表示です。この駅はボストンから郊外へと走っている通勤列車の路線の一つの駅です。この駅から車で十数分ところにあるのが数年前から日本でも知られるようになってきたサドベリーバレースクールです。1968年に物理学者だったダニエル・グリーンバーグさんを中心に設立されたデモクラティックスクールです。サドベリーバレースクールはとても広い敷地を持っており、さらに公園が続いているためなお一層広く感じられます。今は1年でも最もきれいな季節だと言われましたが、芝の緑にタンポポの黄色とスミレの紫がたくさん点在し、大きな連翹の茂みには黄色い花があふれているし、バーチ?の木があちこちで青い空にまっすぐと高く伸びています。主な建物は19世紀の大金持ちが立てた屋敷と内装をしなおした元の納屋です。屋敷の前には山桜の木が花の盛りを迎えてとてもきれいでした。屋敷の裏には大きな大きな池が広がっていて、冬には凍結してその氷の上を歩いたり、スケートをしたりして楽しむのだそうです。
 そんな豊かな緑の中で子どもたちがあちこちで木登りをしたり、バスケットボールをしたり、大きな岩によじ登ったりしながらのびのびと遊んでいました。

2009年5月3日日曜日

クロンララやアメリカのフリースクールの歴史

今日は、クロンララスクールの創設者でもあり、アメリカのフリースクールのネットワークの設立者の一人でもあるパット・モンゴメリーさんのお話をじっくりお聞きしました。学校の教師をされた経験から、ご自分に二人の子どもが生まれて今あるような学校に子どもを送りたくないという思いからクロンララをはじめたこと、設立に当たっていイギリスのサマーヒルスクールを作ったA.S.ニールに会いに行って「サマー昼をもうひとつ作るのでなく、あなたが思うようにはじめなさい」といわれて心強く思ったこと、どのようにホームエデュケーションをはじめたのかなど順を追って話してくださいました。
 また、アメリカのフリースクールをつなぐネットワークを設立していく際のアメリカのフリースクールの興隆期の熱気なども感じられるお話もありました。このネットワークには1年間のスタッフ養成コースもあり様々な形でそれぞれのフリースクールの基盤強化に貢献しています。

この写真は、パットさんが作ってくださった夕食のビーフストロガノフをいただくところです。

クロンララの子どもたちは表現が好き

 クロンララスクールの子どもたちはいろんなものを作っています。これは紙粘土で創ったものだけど、絵や、箱を空けたらオリジナルの音楽が鳴るミュージックボックスを作ったりいろいろしています。建物の中も壁に絵が飾ってあるだけでなくて、壁面に窓の形を活かして壁画を描いていたりします。表現では演劇も盛んのようで演劇をやる子どもたちは今日はリハーサルをしに近くの高校に出かけていっています。衣装も自分たちで作っていて力が入っています。脚本は映画を戯曲形式に自分たちで変えて演じています。「ブレックファストクラブ」という作品です。

2009年5月2日土曜日

クロンララスクール訪問

今日、8年ぶりにクロンララスクールを訪問しました。クロンララスクールは日本のフリースクールにも大きな影響を与えたところで、1967年にパット・モンゴメリーさんが始めたフリースクールです。フリースクールだけでなく、世界19カ国から参加があるホームエデュケーションのプログラムもあります。この二つの部門がひとつの建物にあるのです。
今日は、朝のミーティングが終わるころについてみんなに紹介してもらって、一日自由に取材をさせてもらいました。今回の訪問はシューレ大学の「世界の教育最前線」というビデオ作品の取材なのです。クリエイディヴライティングやスペイン語、グラフィックストーリーテリングなどの授業に入れてもらったり、子どもやスタッフのインタビューをとったりしました。クロンララでは、全米のフリースクールのネットワークの運営委員に子どももスタッフもなっています。
シューレ大学の皆さん、報告を楽しみにしていてください。