2012年4月4日水曜日

ニューヨーク2012⑧

 今日はもう1箇所、人種、貧困、環境などの問題に取り組んでいる団体に行くことになっていましたが、担当の人の都合が悪くなり、キャンセルになってしまいました。そのことがカルフーンに居るうちにわかったため、カルフーンに居る時間をたっぷり持つことができました。そして、カルフーンの訪問が終わった後に、ニューヨーク的なシーンをビデオで撮影するという課題に取り組みました。
 一つは、ニューヨークの象徴の一つ摩天楼を構成している高層ビルです。この写真はクライスラービルです。ワンブロックごとに角度を変えて撮影してみました。他にもエンパイアーステイトビルや、新しいビルで有名と言われているシティバンクのビルなどを撮影しました。
 他にも、子ども、若者の映像というのがあり、公園に行き、遊んでいる子どもや、乳母車を押しながら散歩をするお母さん、通りを歩いている若者の集団などを撮影しました。 タイムズスクエアにたどり着いた時間にはすっかり夕方の光になってしまっていました。

ニューヨーク2012⑦

 この写真はカルフーンの子どもたちが作ったレストランの作品です。テーブルなどはとても小さく、細かな細工を丁寧に作っているものです。
 日本の多くのフリースクールと違って、スペースにとても余裕があり、美術、生物、映像、音楽、物理の実験、語学、暗室、体育館、トレーニングジム、図書室、など資料や設備などを目的ごとに備えた部屋が沢山あります。それらの部屋は、音が大きかったり、大切なもの以外は、壁で区切られていない開放的な設計になっています。屋上には空中庭園まであり、とても充実しています。
 子どもたちに、カルフーンのどこが好きかを聞いたら、「スタッフとの関係がとてもいい」「自分の好きなことを大切にできる」「給食がおいしい」など様々な答えが返ってきました。

ニューヨーク2012⑥

今日は、カルフーンというオルタナティブスクールを訪問しました。100年以上も前に設立されており、最初は伝統的なスタイルの女子校だったそうです。40年ほど前に子どもの主体性を重視した共学に大きく方針転換をしたそうです。この建物はカルフーンのために設計された建物で、建築の賞も受賞しているそうです。
 カルフーンがユニークなのは、子ども中心と言うだけではなく、人種差別、性的少数者への差別を無くすということをミッションとして明言し、明文化していることです。いろんな形で子どもの活動に取り入れられていて、様々なシーンでディスカッションのテーマになるそうです。親たちの影響も大きいため、親に一緒に考えてもらうような機会を積極的に作っているそうです。また、スタッフの採用にも人種や性的少数者であるかどうかは問わず、いろんな人種のスタッフ、性的少数者のスタッフもいるそうです。

2012年4月3日火曜日

ニューヨーク2012⑤

今日もう1箇所訪問したのは、やはり中華街の近くにあるポロジェクト・リーチというNPOです。このNPOは1971年に中国系の子どもや教師たちなどを対象に人種差別にどのように対していくのかをテーマに設立されました。1985年からは、中国系に限らず、また人種差別のみならず性的少数者、HIV・エイズに関する差別も対象にするようになったそうです。10代をはじめ、教師、弁護士などを対象に人種差別や性的少数者への差別を減らしていくために様々なワークショップを行なっています。

ニューヨーク2012④

 DCTVは中華街の近くにあります。中華街は中国からの移民が増えるにつれ拡大しているようです。DCTVの近くの公園には孫文の銅像(写真の中心)があり、中国系の人であふれていました。この時間にこの公園に居た人々は、高齢の人が多く、中国将棋に興じている人、その将棋を見ている人垣、固まって話す人たち、胡弓を弾く人々などが大勢集まっていました。
 中華街には中華系の店があるだけでなく、寺、孔子像、中国系の子どものための学校など中国系の人々の町になっていました。中国系といっても中華人民共和国のみならず、台湾や香港、シンガポールなどの華僑など様々な中国系の人々が集まっているようです。

ニューヨーク2012③

DCTVは40年前にジョン・アルパートさんと津野敬子さんが設立された独立テレビ局です。平和への強い意志が根底に流れている 作品を作り続けているように思います。DCTVの活動の中に青少年のためのプログラムがあります。ニューヨーク市の委託され夏休みに始まったプログラムが現在は3年にも及ぶ活動になっています。最後に自分自身を対象に、自分にとって切実なことを「自画像」として一人一人が制作するというプログラムです。今までにシューレ大学の国際映画祭でも上映させて頂いています。
 今日は、津野さんに加え、青少年向けのプログラムに従事しているスタッフお二人にも話を聞いてきました。今は、非白人(有色人種)の若者のプログラムが始まったと言う話も聞きました。どんな作品が生まれるのか楽しみです。また、この秋から映画館を1階に作る工事に着工するそうで、ますます活動が充実されるのだと感じました。

2012年4月2日月曜日

ニューヨーク2012②

 この写真はリンカーンセンターです。日本の憲法のGHQ草案を書いたベアテ・S・ゴードンさんは、帰国してから平和な社会を築いていくには、人々がお互いに理解しあうことが大切と考え、文化交流に尽力されました。ベアテさんが文化交流の場として使った場所の一つがリンカーンセンターです。一流のバレエやコンサートなどが行われている場所で、ここで公演できるということは、ステータスになります。そんなリンカーンセンターで日本を始めアジアの文化を紹介することで、日本やアジアの文化への見下すような視線を変えていくことに取り組まれたのです。

2012年4月1日日曜日

ニューヨーク2012①

 今日は、移動日でプエルトリコの宿を朝7時に出て、飛行機が遅れたこともあり、ニューヨークの宿に夜の8時半近くに着きました。明日からは、NYからの報告になります。
 先程、電話でDCTV(ダウンタウンコミュニティTV)の共同代表の津野さんと電話でお話をしました。DCTVは独立テレビ局で、骨太なドキュメンタリーを作り続けてきたユニークな存在です。DCTVには10代の若者を対象としたユニークなプログラムがあります。自分にとって切実なテーマを映像で表現すると言うものです。摂食障害、家族の麻薬中毒の問題など様々な自分の問題を映像制作を通して正面から切り込んでいく企画です。

IDEC2012プエルトリコ⑮

 プエルトリコから移民した人が恋しく思うものの代表にコーキーというカエルの鳴き声があるのだそうです。鳥のような通る声で、夜、どこと無く切なく鳴き交わします。宿でも盛んに鳴いていました。アマガエルほどの大きさで、色は写真のように茶色がかかった緑というところです。大会も終わり、コーキーともお別れです。
 大会参加者たちはハグをし合いながら、来年のIDECでの再会を祈ってそれぞれの国に帰っていきました。空港への車で隣り合わせたのはペルーのシュタイナースクールのスタッフです。首都リマの郊外にある120人のシュタイナースクールで美術を教えているのだそうです。他のシュタイナースクールを含め、多くの学校では貧富の差がある家庭の子どもが一緒に学ぶことが殆ど無いそうですが、このシュタイナースクールでは、所得の少ない家庭の場合は減額をかなりして、参加可能にしているのだそうです。このスタッフとも再会を祈って別れを惜しみました。

2012年3月31日土曜日

IDEC2012プエルトリコ⑭

プエルトリコの人たちは歌と踊りが大好きです。IDECもエンディングだけでは幕を引かず、踊りが中心のパフォーマンスがありました。会場の外のオープンスペースに特設会場が組まれ、そこで市長も臨席して行われました。と言っても全く堅苦しい雰囲気ではなく、陽気に盛り上りました。主催のノイエストラエスクエラの子どもを始め、つながっているデモクラティックスクール等の子どもたちが時間をかけて練習をしたというダイナミックな踊りと歌でした。コスチュームもメイクも凝っていて、見ごたえがありました。打ち上げ花火と組み合わせたりして派手さも日本のフリースクールでは考えられないものでした。

IDEC2012プエルトリコ⑬

 今年のIDECの閉会のミーティングでは、次の大会開催国にバトンが渡されました。来年の主催団体は、アメリカ、コロラド州にあるパッチワークスクールです。パッチワークスクールのメンバーが登壇し、いくつか歌を披露しました。写真の左にいる男性と女性は今回の主催団体の代表のフストさんご夫妻で、前に居る男の子はエスパシオaの子どもだと思います。そして、右に写っているギターを手にした女性がパッチワークスクールの代表です。
 このギターはブラジルのIDECから、IDECの主催団体へ送られてきたバトンのようなものです。写真でもギターに文字が書かれていそうな感じがわかると思います。

IDEC2012プエルトリコ⑫

 今日訪問したのはプエルトリコの首都サンファンにある「エスパシオa」というデモクラティックスクールです。5歳から18歳までの子どもを受け入れていて、20人ほどの子どもたちが通っています。常勤、非常勤をあわせて5人のスタッフが居ます。
 町中の複合ビルの2階を借りています。小さい扉を開け、狭い階段を上がって入りますが、中は結構広くて、日本の20人規模のフリースクールよりは広いです。瞑想の部屋、授業の部屋が3つ、スポーツの部屋、キッチン、ダイニング、ロッカールーム、ラウンジ、アートの部屋、、PCコーナー、ベランダ菜園、などがあります。5人のお子さんを持つ代表が、始めはホームエデュケーションをしていたけれど、情報を集めていく中で、デモクラティックスクールを始めたいと思うようになり、5年前に7人の子どもから始めたのだそうです。

2012年3月30日金曜日

IDEC2012プエルトリコ⑪

プエルトリコはカリブ海に浮かぶ島です。大航海時代を経てスペインの植民地になり、米西戦争から事実常アメリカの植民地となってきました。ルーズベルト大統領の時代にプエルトリコにある熱帯雨林を保護することになり、エルユンケという自然保護公園ができたそうです。今日は、大会が企画してこの熱帯雨林に連れて行ってくれました。
 ノイエストラ・ウスキュエラの代表のいとこがツアーガイドを務めてくれました。金融に勤めていたとのことですが、自然に関する知識が豊富な方でした。鳥のような鳴き声のコーキーというカエルがプエルトリコには居ます。鳴き声で雌雄を聞き分ける方法などを教えてくれました。

IDEC2012プエルトリコ⑩

 今回のIDECは初日から次々回のIDECをどこで開くのかという議題を話し合いました。というのは、次回の開催地は前回のイギリス大会でアメリカのコロラドに決まっていたからです。また、決定の仕方で些かもめたということもあり、時間をかけてしこりの残らないようにというような開催者側の配慮なのかもしれません。
 この「IDECミーティング」の進行は今回の主催団体のノイエストラ・エスキュエラの子どもたちが務めてくれました。なかなか難しい進行でしたが、どうどうと進めてくれました。
 次々回、2014年の立候補はニュージーランドと韓国です。韓国は2009年に韓国のオルタナティブスクールのネットワークが主催することになっていましたが、新型インフルエンザのために中止になっています。今回はピョプシスクールというオルタナティブスクールが開催の立候補をしました。写真は、ピョプシスクールのOGが発言しているところです。そして、最終日を待たずに表決しました。ニュージーランドの立候補団体が今回の大会に来ていないこともあり、2014年は韓国に決まりました。

2012年3月29日木曜日

IDEC2012プエルトリコ⑨

 今日は、また、アジア・太平洋地域から参加している人たちの集まりも持ちました。日本以外では、インド、タイ、ミャンマー、韓国、オーストラリア、ニュージーランドから参加がありました。この中で一番人数が多かったのはミャンマーで12人です。政治状況が良くなってきているとはいえ、まだまだ予断を許さない状況にあるそうですが、デモクラティックスクールを作りたい、と考えているのだそうです。この写真には写っていませんが、袈裟姿のお坊さんも参加しています。IDEC終了後はニューヨークに行って、教育関係のプログラムを見学して帰国するのだそうです。

IDEC2012プエルトリコ⑧

 このデモクラティックスクールを設立したのが、写真に写っているフストさんです。交通事故で娘さんを亡くし、悲嘆に暮れている時に、亡くなった娘さんが夢に出てきてノイストラ・エスキュエラという名前の学校を作るように頼んだそうです。
 今や、ノイストラ・エスキュエラは大人の生涯学習センターと保育園を含めると4つの拠点を持ち、カグアス市のデモクラティックシティの計画の中核となる団体になっています。フストさんはそのノイストラ・エスキュエラの代表でしっかりリードしてきている人で、この写真はどちらかというと精悍さが出ています。しかし、普段は、笑顔の絶えないとても親しみやすいお人柄です。

IDEC2012プエルトリコ⑦

 今回のIDECは、ノイストラ・エスキュエラというデモクラティックスクールが開催しました。このデモクラティック・スクールは、カグアス市の町中のあまり治安の良くない地域にあります。ビルの2階をつかっており、日本のフリースクール近いものがあります。
 殆どの子が学校が合わなくて何らかの形でノイストラ・エスキュエラにたどり着いています。ただ、日本の不登校とはイメージが違っていて、成績の悪いとか、授業に付いていけないとかいうイメージを持たれている子どもたちです。
 無料で子どもたちを受け入れています。その大きな理由は、家族の理解が得られない子どもが少なくないことです。親が養育を放棄していたり、性的虐待を受けていたり、中には親を知らない子どももいるそうです。一人一人の子どもを受け止めるということをとても大切にしているのだそうです。

2012年3月28日水曜日

IDEC2012プエルトリコ⑥

 ソルイソリーナでも子どものダンスの披露がありました。踊っている子どもの一人は妊娠しているそうで、そのことを教えてくれた子は心配そうでした。そのあと、交流のような時間があり、訪問者からは、日本からの参加者が指名されて話しました。プエルトリコでも日本のマンガやアニメは知られており、初音ミクのことを話されたりしたのですが、あまり知らないので、話に付いていけませんでした。
 日本人の左に居るのがここの生徒で、とても英語が上手で、右に居る帽子をかぶったスタッフの通訳をしていました。英語はここで学んだのだそうです。授業は個人対応をベースに、数人に一人のスタッフがついて進めていました。

IDEC2012プエルトリコ⑤

 今日の午前中にソルイロリーナというフリースクールのようなところに行きました。1987年の設立で東京シューレとほぼ同時期に設立されています。
 NPOなのだそうですが、日本のフリースクールからすると建物も設備もとても立派でうらやましい限りです。学校が合わなくてここに来る子どもが多いのだそうですが、日本の不登校のような感じはありません。子どもたちからも話を聞いたのですが、いじめなどの理由は聞かず、勉強が一方的でつまらなかったという声が多数でした。
 シングルマザーや妊娠している子どもも居ることもあって、託児所もあります。託児所から高校まで0歳から21歳までいるのだそうです。

2012年3月27日火曜日

IDEC2012プエルトリコ④

プエルトリコの人はとても音楽や踊りがすきなのだそうです。そして、人を楽しませるのも大好きなのだそうです。今日は、子どもや大人が一緒になってドラムに合わせてダンスを披露してくれました。ドラムも歌も生でとても迫力がありました。フリが決まっている部分と、一定の要素の中で即興でやる部分があるようで、どちらの部分もとても生き生きとしていて見ていてとても気持ちのいいダンスでした。

IDEC2012プエルトリコ③

 今回のIDECはプエルトリコの内陸にある都市カグアスで開かれています。なぜ、カグアスなのかというとカグアスはデモクラティックスクールを中核としたエデュケーショナル・シティになることを目指しているからです。今日は、カグアスのエデュケーショナル・シティになる取り組みに着いての時間ももたれました。
 そこで、カグアスのトーレス市長に知り合いのメリアさんと二人でインタビューをしました。カグアスでは貧困や治安の悪さなどの問題がありますが、エデュケーショナル・シティになることで、一人一人が幸せになる、あるいは幸せになることに意識的になれることで問題を解決していけるのではないか、と考えています。物静かな方のようですが、情熱を感じました。

2012年3月26日月曜日

IDEC2012プエルトリコ②

 この二人はアメリカのデモクラティックスクールを長年にわたってリードしてこられた二人です。右はミシガン州にあるクロンララスクールを設立したパット・モンゴメリーさん、左がアマティナススクールを始めた一人、サンディー・ハーストさんです。
 お二人は、自分が今までに教育に関して影響を受けてきた本を取り上げて、どのような影響を受けたのかを手短に発表していくという発表をされました。古くはプラトン、ソクラテスが出るかと思えば、ルソーやフレーベル、トルストイ、を経てサマーヒルスクールを設立したA.S.ニールの名前も出ていました。日本通のパットさんは松田道雄や黒柳徹子の名前も出てきました。

IDEC2012プエルトリコ大会①

 今年のIDEC(国際デモクラティック教育大会)は中米のプエルトリコで開かれています。プエルトリコはキューバに近い島です。「ウエストサイド・ストーリー」に出てくるマリアたちはプエルトリコからの移民です。
 IDECの会場があるのは、プエルトリコの中心都市サンファンから南に下ったカグアスという都市です。
ここには、ヌエストラ・エスクエラというデモクラティックスクールがあり、このスクールが中心になって今回のIDECを開いています。