2009年8月14日金曜日

ミンドゥルレ・サランパンの10周年映像


ミンドゥルレも韓国のオルタナティブ教育の活動の中心の一つです。ミンドゥルレは脱学校、オルタナティブスクール、ホームエデュケーションなどのオルタナティブ教育に関する雑誌を発行している雑誌社です。そこに集まるようになった若者たちとミンドゥルレ・サランパンというオルタナティブスクールも始めています。ミンドゥルレも1999年に始まっており、今年が10周年の節目の年になっています。その10周年を描いた映像を作ろうということでミンドゥルレ・サランパン出身の若い映像作家の李学珉(イハクミン)さんが作りました。十代半ばからの自分のサランパンでの10年を通じて、ミンドゥルレの10年、さらに韓国のオルタナティブ教育の10年を描いた力作です。今月の28日~30日まで開催されるシューレ大学国際映画祭で上映されます。もう一つ「誰かの自転車」という短編の映画も上映します。この映画祭のために李学珉は来日し、上映後にトークセッションも予定されています。

ハジャセンターの再編成

今回の訪韓は国会で開かれたオルタナティブ教育法制定に向けての公聴会で日本の取り組みを報
告するためのものでした。公聴会の前の夕方にソウルに入り、打ち合わせをし、翌日に公聴会、公聴会の翌日には帰国という慌しい日程でした。帰国の前にハジャセンターに寄らせてもらいました。
 ハジャセンターは99年に始まった公設民営のオルタナティブな学びの場として韓国のオルタナティブ教育の運動を引っ張ってきた中心の一つです。そのハジャセンターは今年から大きな再編成をしました。ファッションデザイン、映像制作、ポップミュージック、などの工房で整った設備を使って専門技術を持ったスタッフから主として表現を学べるクリエイティブセンターと韓国の都市型オルタナティブスクールの走りの一つであるハジャ作業場学校(通称:ハジャスクール)は日本でも活動が知られてきました。この1月からは、20代、30代の若者たちの起業センターとしての活動を中心とした活動を中心にしました。そして、ハジャスクールがハジャセンターから外れソウル市オルタナティブ教育ネットワークに移行しました。韓国は社会の動きもテンポが速く大きいのですが、とりわけハジャセンターの動きは早く大きくちょっと会わない間に結構な変化があります。

2009年8月10日月曜日

韓国のオルタナティブ教育法成立に向けての公聴会3

 この公聴会の前半の司会はオルタナティブ教育の研究者で韓国のオルタナティブスクール全国ネットワークのIDEC担当のハさんでした。IDECは日本で2000年に開いたことのある世界各地のフリースクール関係者(子ども、親、スタッフ、研究者など)が集まる大会で日本では世界フリースクール大会と呼ばれてもいます。実は、この公聴会はIDECの1こまとして考えられていたものなのです。今年のIDECは韓国で8月1日から10日まで江原大学とソウル大学を会場に予定されていました。しかし、残念ながら新型インフルエンザがこの夏に韓国で急に感染者を増やしたことで中止となりました。大会は中止となりましたが、この公聴会だけは開かれたのでした。

2009年8月8日土曜日

韓国のオルタナティブ教育法成立に向けての公聴会2

最初に主催者であるキム議員から主催の趣旨説明があり、それから副大臣、同僚議員のあいさつがありました。日本からはフリースクール全国ネットワークの代表理事の奥地さんとフリースクール議連の事務局長の小宮山洋子さんのビデオメッセージが上映されました。
 その後、朝倉が日本のフリースクールの状況とフリースクール全国ネットワークがつくった政策提言についてお話をしました。さらに、教育学者や韓国の全国ネットワークの事務局長、ホームエデュケーションをしている親など7~8人の発言者によるシンポジウムがありました。この日はカメラが3台入って中継をしていましたが、視聴率の低い公共放送の番組なのだそうです。

2009年8月7日金曜日

韓国のオルタナティブ教育法成立に向けての公聴会1

この写真は、韓国の国会議事堂の議場です。議場を背に写っているのは国会専従の通訳の崔さんです。8月7日に韓国国会の議員会館でオルタナティブ教育法制定のための公聴会が開かれました。キム・チューンジン議員が中心となってオルタナティブう教育法の制定を計画しています。韓国では去年すでにオルタナティブスクール法が施行されています。それでもさらにオルタナティブ教育法を制定しようというのは、より自由度の高い教育を保障する法律、ホームエデュケーションを社会的に位置づける法律を作ろうというねらいがあるのです。