2014年4月6日日曜日

MIFS④ウクライナの話 The story about Ukraine by Polish priest

(English locates below Japanese sentences.)
 ウクライナの首都キエフでは2013年9月から抗争が続き、この2・3月に多くの犠牲者が出る事態になってしまいました。MIFSには20年来のポーランド人の司祭の友人がいます。2006年からMIFSが開く国際大会でシューレ大学のスタッフの朝倉もしばらくは毎年のように会ってきました。彼は、2年前からキエフのカトリックの司祭として赴任しており、今回の抗争の中で暮らすことになりました。抗争は基本的には市民と軍隊という構図のようですが、非常に混乱した状況があったそうです。この司祭は教会で負傷した人の支援をし続け、現在は状況がやや落ち着いたこともあり、バチカンなどを訪れ、今朝、クリミア半島に残っているウクライナ人とポーランド人の神父に会いに行きました。クリミアから陸路でキエフに帰るのだそうです。
 キエフの抗争での犠牲者は射殺された人が多く含まれます。1日に75人の人が一人のスナイパ
ーに射殺されたことがあったようです。そんなスナイパーはどこから来た人なのかわからないとされています。つまり、ウクライナの軍人ではないと考えられており、どこから誰が読んだのかが不明なのだということです。今回の抗争にはウクライナの人々だけではなく、ヨーロッパやロシアあるいは他の国の大きな資金を持った何がしかの力が働いているのではないかということが言われているようです。この困難状況を収集するのが難しいのは、ウクライナの人々が分断されているからだと友人は言っていました。今のウクライナは貧富の差が大きくなってきており、人々の間に不信と不満が蓄積してきているのだそうです。2004年のオレンジ革命のあとも政治の腐敗や汚職が続き人々は政治、ひいては民主政治制度を信頼できなくなっていることも困難を大きくしているのだそうです。
 今は感情的な対立や憎しみが高まっており、対話を積み重ねることが難しく、時間をかけて紙
を重ねるように丁寧に一歩一歩進むしかないということでした。
一緒に現場の写真を見せてもらっていたMIFSの子どもたちも食い入るように話を聞いていました。

Group of MIFS students, staff members and I talked with a Polish priest living in Kiev. He has lived in Kiev for two years. It means he lived there when the serious situation happend in Kiev. He helped injured people at his Church. It was not safe. For example, one day a man standing next to him was shot dead.
     Many of the dead were shot. According to him, there was a sniper in the conflict.  The sniper shot more than 70 people on one day. Many people there didn't know who was that sniper, from where the sniper came. Some people say huge figure may concern to this conflict from outside of Ukraine.
     Until today the rich have become richer and the poor become poorer. So people are divided. People cannot trust each other and are frustrated. Even after the Orange Revolution in 2004, they had had corruptions of the government. They cannot trust government then democratic political system.
    Now people have emotional hatered. So, it takes time to go to the peace, the friend said to us.

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