2011年1月10日月曜日

GHQ草案を起草した部屋を訪れて

 憲法案を起草した件は、家族も含め他言無用という厳命だったため、戦後ずっとその件についてベアテさんが話すことは無かったそうです。しかし、何らかの経緯で憲法草案のことは知られるようになり、90年代になって当時存命だったベアテさんとケーディス元大佐が日本に呼ばれ、当時の執務室を訪れました。その時の写真です。
 各国の憲法を集めてその時点で最善の人権条項を書こうと努力したのだそうです。実現には至りませんでしたが、最初の原稿には学齢の子どもたちの歯医者を含む医療費の無償なども盛り込まれていました。相続で非嫡子の差別を無くすことなども書かれていましたが、「民法に書くべき」ということではずされます。ベアテさんは、「しかし、今の改革の時期を逃すと実現に相当な時間がかかる」と抗議したのだそうですが、通りませんでした。今も、この件はまだ解決していません。それでも人権については日本の憲法はアメリカの憲法より充実しているのだそうです。

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