2011年1月10日月曜日

DCTV

 今回の投稿はベアテさんの話から離れます。ニューヨークのマンハッタンのダウンタウンにDCTV(ダウンタウンコミュニティTV )という独立映像プロダクションがあります。脚光を浴びないけれど世の多くの人が汁に値する事柄を骨太なドキュメンタリー作品にしているところです。
 シューレ大学では2003年にアメリカで開かれたIDEC(国際デモクラティック教育大会)に参加するために渡米した折、一度訪問しています。それ以来の訪問ですが、実は、去年、第3回シューレ大学国際映画祭でDCTVの映像を上映しています。DCTVには若者がビデオで自画像を撮るという2年間のプログラムがあり、すばらしい作品がたくさん生まれています。その中の一つを上映し、来場者からもずいぶんと評判になりました。
 DCTVは30年以上前にジョン・アルパートさんと津野敬子さんのご夫妻が設立しました。津野さんは数日前までせきがひどかったそうなのですが、お会いした時はお元気になられたようでした。ジョンさんにお茶を入れていただいて、津野さんと今回は去年の映画祭の報告をしたり、今年の映画祭で上映する作品の相談をしたり、いろんな話をしました。

GHQ草案を起草した部屋を訪れて

 憲法案を起草した件は、家族も含め他言無用という厳命だったため、戦後ずっとその件についてベアテさんが話すことは無かったそうです。しかし、何らかの経緯で憲法草案のことは知られるようになり、90年代になって当時存命だったベアテさんとケーディス元大佐が日本に呼ばれ、当時の執務室を訪れました。その時の写真です。
 各国の憲法を集めてその時点で最善の人権条項を書こうと努力したのだそうです。実現には至りませんでしたが、最初の原稿には学齢の子どもたちの歯医者を含む医療費の無償なども盛り込まれていました。相続で非嫡子の差別を無くすことなども書かれていましたが、「民法に書くべき」ということではずされます。ベアテさんは、「しかし、今の改革の時期を逃すと実現に相当な時間がかかる」と抗議したのだそうですが、通りませんでした。今も、この件はまだ解決していません。それでも人権については日本の憲法はアメリカの憲法より充実しているのだそうです。

アジアソサエティ

 この陶器は野々村仁清の作のものです。日本でもなかなか目にする機会の無いものです。アジアソサエティのロビーの奥の展示コーナーにありました。
 ベアテさんはアジアソサエティーでも文化理解、人物交流に尽力しました。日本を中心に交流されてきた方ですが、アジア各地に出かけていっていろんな人を招聘しています。インド、アラビア半島をはじめ、チベットにもブータンにも出かけたそうです。アジアで行っていない国はほとんど無いほどだそうです。
 それぞれの違いをよく知るだけでなく、人が以下に同じかということが実感されていくことが深いつながり合いをつくっていくのだと感じたそうです。

アメリカに戻ってからのベアテさん

 GHQで憲法草案を起草し、日本政府との折衝に参加した後、ベアテさんは調査専門家と言う仕事を翌年の半ばまで続け、アメリカに戻りました。そして、滞日中に知り合ったゴードンさんと結婚します。
 結婚後いくつかの職をへて、ジャパンソサエティとアジアソサエティという団体で国際交流の仕事を始めます。いくつかの理由が重なってのことです。めぐり合わせもあれば、人との交流が好きだと言うこともあれば、また、平和を実現するためには違う社会に生きる人たちが出会い、お互いを知り合うことこそが大切なのだという思いもあったそうです。
 ベアテさんがアメリカに留学した当時、アメリカの人たちから「日本の人は洞穴にすんでいるの?木の上に住んでいるの?」とか、聞かれて憤慨したり、悲しくなったりしたそうです。わからない相手には疑心暗鬼になりやすいものです。
 ベアテさんは有名無名を問わず紹介したいすばらしいものや表現を夢中になって紹介したそうです。この写真は版画家の棟方志功との写真です。棟方志功はベアテさんをずいぶんと気に入ったそうで、ベアテさんの家にはたくさん棟方志功の作品が飾られています。

2011年1月8日土曜日

終戦後の日本でGHQ憲法草案を執筆する

 この写真はベアテさんの新婚当時のものです。なんだか、ハリウッドで美人女優を売りにした映画が全盛の頃の映画の写真みたいですね。その時代のことなのでした。ベアテさんは自分が育った東京が焼け野原になっているのを見てともかく悲しかったとのことです。欧州にいた親戚も殺されたり、戦争をともかくなくさなければいけない、そのためにも、弱い立場に置かれている女性や子どもの権利が保障されなければいけないと考えたのだそうです。
 差別されたり、得られるべき権利が得られないような人々がいる限り平和も実現しないという考えもあったようです。

2011年1月7日金曜日

ビデオ映像・戦争と平和シリーズ取材

シューレ大学では「戦争と平和シリーズ」というビデオ作品を作っています。戦争と平和について考えていきたいけれど、自分に引き伝感じたり考えたりすることが難しいということをどうにかするための企画です。また、自分たちと同じようなことを感じている人たちと共有できればということから始まっています。
 今回はその3作目にあたります。ベアテ・シロタ・ゴードンさんというGHQ憲法草案を作ったメンバーで唯一今、ご存命の方です。1923年にオーストリアでユダヤ人の両親の元に生まれ、戦前の日本で育ち、アメリカに留学中に戦争が始まり、日本にいる両親と離れ離れになったり、欧州の多くの親戚がナチスの絶滅収容所で亡くなるなど多くの悲しみ苦しみを経験されました。
 終戦直後、どのように暮らしているのかわからない両親に何とか合いたい一心で、GHQの文民メンバー初の女性として来日し、数奇な運命から憲法草案を書くメンバーになりました。ベアテさんのインタビューのために今、ニューヨークに来ています。今回は、いつものオルタナティブ教育の訪問と少し違った報告になります。
 この写真はベアテさんが日本にいた時に踊っていたものです。ベアテさんは高名なピアニストの娘として生まれ、小さい頃から芸術に触れて育ち、ご自身は踊りが大好きだったそうです。