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2012年4月1日日曜日

IDEC2012プエルトリコ⑮

 プエルトリコから移民した人が恋しく思うものの代表にコーキーというカエルの鳴き声があるのだそうです。鳥のような通る声で、夜、どこと無く切なく鳴き交わします。宿でも盛んに鳴いていました。アマガエルほどの大きさで、色は写真のように茶色がかかった緑というところです。大会も終わり、コーキーともお別れです。
 大会参加者たちはハグをし合いながら、来年のIDECでの再会を祈ってそれぞれの国に帰っていきました。空港への車で隣り合わせたのはペルーのシュタイナースクールのスタッフです。首都リマの郊外にある120人のシュタイナースクールで美術を教えているのだそうです。他のシュタイナースクールを含め、多くの学校では貧富の差がある家庭の子どもが一緒に学ぶことが殆ど無いそうですが、このシュタイナースクールでは、所得の少ない家庭の場合は減額をかなりして、参加可能にしているのだそうです。このスタッフとも再会を祈って別れを惜しみました。

2012年3月31日土曜日

IDEC2012プエルトリコ⑭

プエルトリコの人たちは歌と踊りが大好きです。IDECもエンディングだけでは幕を引かず、踊りが中心のパフォーマンスがありました。会場の外のオープンスペースに特設会場が組まれ、そこで市長も臨席して行われました。と言っても全く堅苦しい雰囲気ではなく、陽気に盛り上りました。主催のノイエストラエスクエラの子どもを始め、つながっているデモクラティックスクール等の子どもたちが時間をかけて練習をしたというダイナミックな踊りと歌でした。コスチュームもメイクも凝っていて、見ごたえがありました。打ち上げ花火と組み合わせたりして派手さも日本のフリースクールでは考えられないものでした。

IDEC2012プエルトリコ⑬

 今年のIDECの閉会のミーティングでは、次の大会開催国にバトンが渡されました。来年の主催団体は、アメリカ、コロラド州にあるパッチワークスクールです。パッチワークスクールのメンバーが登壇し、いくつか歌を披露しました。写真の左にいる男性と女性は今回の主催団体の代表のフストさんご夫妻で、前に居る男の子はエスパシオaの子どもだと思います。そして、右に写っているギターを手にした女性がパッチワークスクールの代表です。
 このギターはブラジルのIDECから、IDECの主催団体へ送られてきたバトンのようなものです。写真でもギターに文字が書かれていそうな感じがわかると思います。

IDEC2012プエルトリコ⑫

 今日訪問したのはプエルトリコの首都サンファンにある「エスパシオa」というデモクラティックスクールです。5歳から18歳までの子どもを受け入れていて、20人ほどの子どもたちが通っています。常勤、非常勤をあわせて5人のスタッフが居ます。
 町中の複合ビルの2階を借りています。小さい扉を開け、狭い階段を上がって入りますが、中は結構広くて、日本の20人規模のフリースクールよりは広いです。瞑想の部屋、授業の部屋が3つ、スポーツの部屋、キッチン、ダイニング、ロッカールーム、ラウンジ、アートの部屋、、PCコーナー、ベランダ菜園、などがあります。5人のお子さんを持つ代表が、始めはホームエデュケーションをしていたけれど、情報を集めていく中で、デモクラティックスクールを始めたいと思うようになり、5年前に7人の子どもから始めたのだそうです。

2012年3月30日金曜日

IDEC2012プエルトリコ⑪

プエルトリコはカリブ海に浮かぶ島です。大航海時代を経てスペインの植民地になり、米西戦争から事実常アメリカの植民地となってきました。ルーズベルト大統領の時代にプエルトリコにある熱帯雨林を保護することになり、エルユンケという自然保護公園ができたそうです。今日は、大会が企画してこの熱帯雨林に連れて行ってくれました。
 ノイエストラ・ウスキュエラの代表のいとこがツアーガイドを務めてくれました。金融に勤めていたとのことですが、自然に関する知識が豊富な方でした。鳥のような鳴き声のコーキーというカエルがプエルトリコには居ます。鳴き声で雌雄を聞き分ける方法などを教えてくれました。

IDEC2012プエルトリコ⑩

 今回のIDECは初日から次々回のIDECをどこで開くのかという議題を話し合いました。というのは、次回の開催地は前回のイギリス大会でアメリカのコロラドに決まっていたからです。また、決定の仕方で些かもめたということもあり、時間をかけてしこりの残らないようにというような開催者側の配慮なのかもしれません。
 この「IDECミーティング」の進行は今回の主催団体のノイエストラ・エスキュエラの子どもたちが務めてくれました。なかなか難しい進行でしたが、どうどうと進めてくれました。
 次々回、2014年の立候補はニュージーランドと韓国です。韓国は2009年に韓国のオルタナティブスクールのネットワークが主催することになっていましたが、新型インフルエンザのために中止になっています。今回はピョプシスクールというオルタナティブスクールが開催の立候補をしました。写真は、ピョプシスクールのOGが発言しているところです。そして、最終日を待たずに表決しました。ニュージーランドの立候補団体が今回の大会に来ていないこともあり、2014年は韓国に決まりました。

2012年3月29日木曜日

IDEC2012プエルトリコ⑨

 今日は、また、アジア・太平洋地域から参加している人たちの集まりも持ちました。日本以外では、インド、タイ、ミャンマー、韓国、オーストラリア、ニュージーランドから参加がありました。この中で一番人数が多かったのはミャンマーで12人です。政治状況が良くなってきているとはいえ、まだまだ予断を許さない状況にあるそうですが、デモクラティックスクールを作りたい、と考えているのだそうです。この写真には写っていませんが、袈裟姿のお坊さんも参加しています。IDEC終了後はニューヨークに行って、教育関係のプログラムを見学して帰国するのだそうです。

IDEC2012プエルトリコ⑧

 このデモクラティックスクールを設立したのが、写真に写っているフストさんです。交通事故で娘さんを亡くし、悲嘆に暮れている時に、亡くなった娘さんが夢に出てきてノイストラ・エスキュエラという名前の学校を作るように頼んだそうです。
 今や、ノイストラ・エスキュエラは大人の生涯学習センターと保育園を含めると4つの拠点を持ち、カグアス市のデモクラティックシティの計画の中核となる団体になっています。フストさんはそのノイストラ・エスキュエラの代表でしっかりリードしてきている人で、この写真はどちらかというと精悍さが出ています。しかし、普段は、笑顔の絶えないとても親しみやすいお人柄です。

IDEC2012プエルトリコ⑦

 今回のIDECは、ノイストラ・エスキュエラというデモクラティックスクールが開催しました。このデモクラティック・スクールは、カグアス市の町中のあまり治安の良くない地域にあります。ビルの2階をつかっており、日本のフリースクール近いものがあります。
 殆どの子が学校が合わなくて何らかの形でノイストラ・エスキュエラにたどり着いています。ただ、日本の不登校とはイメージが違っていて、成績の悪いとか、授業に付いていけないとかいうイメージを持たれている子どもたちです。
 無料で子どもたちを受け入れています。その大きな理由は、家族の理解が得られない子どもが少なくないことです。親が養育を放棄していたり、性的虐待を受けていたり、中には親を知らない子どももいるそうです。一人一人の子どもを受け止めるということをとても大切にしているのだそうです。

2012年3月28日水曜日

IDEC2012プエルトリコ⑥

 ソルイソリーナでも子どものダンスの披露がありました。踊っている子どもの一人は妊娠しているそうで、そのことを教えてくれた子は心配そうでした。そのあと、交流のような時間があり、訪問者からは、日本からの参加者が指名されて話しました。プエルトリコでも日本のマンガやアニメは知られており、初音ミクのことを話されたりしたのですが、あまり知らないので、話に付いていけませんでした。
 日本人の左に居るのがここの生徒で、とても英語が上手で、右に居る帽子をかぶったスタッフの通訳をしていました。英語はここで学んだのだそうです。授業は個人対応をベースに、数人に一人のスタッフがついて進めていました。

IDEC2012プエルトリコ⑤

 今日の午前中にソルイロリーナというフリースクールのようなところに行きました。1987年の設立で東京シューレとほぼ同時期に設立されています。
 NPOなのだそうですが、日本のフリースクールからすると建物も設備もとても立派でうらやましい限りです。学校が合わなくてここに来る子どもが多いのだそうですが、日本の不登校のような感じはありません。子どもたちからも話を聞いたのですが、いじめなどの理由は聞かず、勉強が一方的でつまらなかったという声が多数でした。
 シングルマザーや妊娠している子どもも居ることもあって、託児所もあります。託児所から高校まで0歳から21歳までいるのだそうです。

2012年3月27日火曜日

IDEC2012プエルトリコ④

プエルトリコの人はとても音楽や踊りがすきなのだそうです。そして、人を楽しませるのも大好きなのだそうです。今日は、子どもや大人が一緒になってドラムに合わせてダンスを披露してくれました。ドラムも歌も生でとても迫力がありました。フリが決まっている部分と、一定の要素の中で即興でやる部分があるようで、どちらの部分もとても生き生きとしていて見ていてとても気持ちのいいダンスでした。

IDEC2012プエルトリコ③

 今回のIDECはプエルトリコの内陸にある都市カグアスで開かれています。なぜ、カグアスなのかというとカグアスはデモクラティックスクールを中核としたエデュケーショナル・シティになることを目指しているからです。今日は、カグアスのエデュケーショナル・シティになる取り組みに着いての時間ももたれました。
 そこで、カグアスのトーレス市長に知り合いのメリアさんと二人でインタビューをしました。カグアスでは貧困や治安の悪さなどの問題がありますが、エデュケーショナル・シティになることで、一人一人が幸せになる、あるいは幸せになることに意識的になれることで問題を解決していけるのではないか、と考えています。物静かな方のようですが、情熱を感じました。

2012年3月26日月曜日

IDEC2012プエルトリコ②

 この二人はアメリカのデモクラティックスクールを長年にわたってリードしてこられた二人です。右はミシガン州にあるクロンララスクールを設立したパット・モンゴメリーさん、左がアマティナススクールを始めた一人、サンディー・ハーストさんです。
 お二人は、自分が今までに教育に関して影響を受けてきた本を取り上げて、どのような影響を受けたのかを手短に発表していくという発表をされました。古くはプラトン、ソクラテスが出るかと思えば、ルソーやフレーベル、トルストイ、を経てサマーヒルスクールを設立したA.S.ニールの名前も出ていました。日本通のパットさんは松田道雄や黒柳徹子の名前も出てきました。

IDEC2012プエルトリコ大会①

 今年のIDEC(国際デモクラティック教育大会)は中米のプエルトリコで開かれています。プエルトリコはキューバに近い島です。「ウエストサイド・ストーリー」に出てくるマリアたちはプエルトリコからの移民です。
 IDECの会場があるのは、プエルトリコの中心都市サンファンから南に下ったカグアスという都市です。
ここには、ヌエストラ・エスクエラというデモクラティックスクールがあり、このスクールが中心になって今回のIDECを開いています。

2011年1月10日月曜日

GHQ草案を起草した部屋を訪れて

 憲法案を起草した件は、家族も含め他言無用という厳命だったため、戦後ずっとその件についてベアテさんが話すことは無かったそうです。しかし、何らかの経緯で憲法草案のことは知られるようになり、90年代になって当時存命だったベアテさんとケーディス元大佐が日本に呼ばれ、当時の執務室を訪れました。その時の写真です。
 各国の憲法を集めてその時点で最善の人権条項を書こうと努力したのだそうです。実現には至りませんでしたが、最初の原稿には学齢の子どもたちの歯医者を含む医療費の無償なども盛り込まれていました。相続で非嫡子の差別を無くすことなども書かれていましたが、「民法に書くべき」ということではずされます。ベアテさんは、「しかし、今の改革の時期を逃すと実現に相当な時間がかかる」と抗議したのだそうですが、通りませんでした。今も、この件はまだ解決していません。それでも人権については日本の憲法はアメリカの憲法より充実しているのだそうです。

アジアソサエティ

 この陶器は野々村仁清の作のものです。日本でもなかなか目にする機会の無いものです。アジアソサエティのロビーの奥の展示コーナーにありました。
 ベアテさんはアジアソサエティーでも文化理解、人物交流に尽力しました。日本を中心に交流されてきた方ですが、アジア各地に出かけていっていろんな人を招聘しています。インド、アラビア半島をはじめ、チベットにもブータンにも出かけたそうです。アジアで行っていない国はほとんど無いほどだそうです。
 それぞれの違いをよく知るだけでなく、人が以下に同じかということが実感されていくことが深いつながり合いをつくっていくのだと感じたそうです。

アメリカに戻ってからのベアテさん

 GHQで憲法草案を起草し、日本政府との折衝に参加した後、ベアテさんは調査専門家と言う仕事を翌年の半ばまで続け、アメリカに戻りました。そして、滞日中に知り合ったゴードンさんと結婚します。
 結婚後いくつかの職をへて、ジャパンソサエティとアジアソサエティという団体で国際交流の仕事を始めます。いくつかの理由が重なってのことです。めぐり合わせもあれば、人との交流が好きだと言うこともあれば、また、平和を実現するためには違う社会に生きる人たちが出会い、お互いを知り合うことこそが大切なのだという思いもあったそうです。
 ベアテさんがアメリカに留学した当時、アメリカの人たちから「日本の人は洞穴にすんでいるの?木の上に住んでいるの?」とか、聞かれて憤慨したり、悲しくなったりしたそうです。わからない相手には疑心暗鬼になりやすいものです。
 ベアテさんは有名無名を問わず紹介したいすばらしいものや表現を夢中になって紹介したそうです。この写真は版画家の棟方志功との写真です。棟方志功はベアテさんをずいぶんと気に入ったそうで、ベアテさんの家にはたくさん棟方志功の作品が飾られています。

2011年1月8日土曜日

終戦後の日本でGHQ憲法草案を執筆する

 この写真はベアテさんの新婚当時のものです。なんだか、ハリウッドで美人女優を売りにした映画が全盛の頃の映画の写真みたいですね。その時代のことなのでした。ベアテさんは自分が育った東京が焼け野原になっているのを見てともかく悲しかったとのことです。欧州にいた親戚も殺されたり、戦争をともかくなくさなければいけない、そのためにも、弱い立場に置かれている女性や子どもの権利が保障されなければいけないと考えたのだそうです。
 差別されたり、得られるべき権利が得られないような人々がいる限り平和も実現しないという考えもあったようです。

2011年1月7日金曜日

ビデオ映像・戦争と平和シリーズ取材

シューレ大学では「戦争と平和シリーズ」というビデオ作品を作っています。戦争と平和について考えていきたいけれど、自分に引き伝感じたり考えたりすることが難しいということをどうにかするための企画です。また、自分たちと同じようなことを感じている人たちと共有できればということから始まっています。
 今回はその3作目にあたります。ベアテ・シロタ・ゴードンさんというGHQ憲法草案を作ったメンバーで唯一今、ご存命の方です。1923年にオーストリアでユダヤ人の両親の元に生まれ、戦前の日本で育ち、アメリカに留学中に戦争が始まり、日本にいる両親と離れ離れになったり、欧州の多くの親戚がナチスの絶滅収容所で亡くなるなど多くの悲しみ苦しみを経験されました。
 終戦直後、どのように暮らしているのかわからない両親に何とか合いたい一心で、GHQの文民メンバー初の女性として来日し、数奇な運命から憲法草案を書くメンバーになりました。ベアテさんのインタビューのために今、ニューヨークに来ています。今回は、いつものオルタナティブ教育の訪問と少し違った報告になります。
 この写真はベアテさんが日本にいた時に踊っていたものです。ベアテさんは高名なピアニストの娘として生まれ、小さい頃から芸術に触れて育ち、ご自身は踊りが大好きだったそうです。