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2010年4月13日火曜日

壁を越えて

 パレスティナとイスラエルは壁に隔てられています。イスラエルが治安の維持のためという名目で建てたものです。壁は基本的にぶ厚い背の高いコンクリートパネルで作られていて、ところどころに監視塔があり、超えることができないようになっています。
 この壁があることで、イスラエルとパレスティナが物理的に分断されているだけでなく、パレスティナの村同士も人の行き来ができにくくなっていると聞きました。また、壁の向こうが見えないことでより相手がわからない疑心暗鬼も増えていっているのだとも聞きました。物理的な壁が人の心の中にも入ってきてしまうのです。
 この壁の写真はパレスティナ側から撮ったもので、このような落書きはパレスティナ人や、パレスティナにやってくる外国人が描くのだそうです。
 平和教育を進める希望と花の学校のスタッフ、ガーダさんはデモクラティックエデュケーションはその社会の現状に根付いたかたちで、その社会で生きている子どもの生活に合うところからはじめなければいけない、とインタビューで語ってくれました。このインタビューを終えて、私達はベツレヘムとイスラエルの国境の検問所に行き、飛行場の手荷物検査や身体検査のように厳重なチェックを経て、その他のパレスティナの人と一緒に歩いて検問所を通ってイスラエルに入りました。

2010年4月6日火曜日

パレスティナ自治区ヨルダン川西岸、ベツレヘム

 今回滞在している場所は「パレスティナ自治区ヨルダン川西岸、ベツレヘム」およびその郊外の村ということになります。ヨルダン川西岸の自治区では3通りの状況があり、パレスティナの完全自治、イスラエルの治安地域、その中間形態だそうです。希望と花の学校がある場所はイスラエルが治安を掌っています。そのため、水の分配などをめぐって様々なトラブルがあります。
 この写真は、ベツレヘムの難民キャンプの一角で撮影したものです。インティファーダなどで死んだ人の絵や写真を壁に描くことがよくあるそうです。この写真もその一つではないかと思います。この難民キャンプには2万人以上が住んでおり、国連が環境の維持を担当しています。現在は治安は落ち着いてきており、生活も向上してきているのだそうですが、衛生状況などは不十分なのだそうです。ベツレヘムの失業率は40パーセントを越えていますが、難民キャンプの失業率はさらに高いそうです。そのことが社会の不安定や子どもの生活に様々に影響しているのです。
 希望と花の学校では、子どもの教育のみならず、地域の基盤を確かにするために、特に助成の経済力を付けることやインドで注目されているマイクロファイナンスなどの支援活動もしています。

平和教育

 この写真は、希望と花の学校の授業一つで、日々の生活の中で溜め込んだ感情を外に出すワークショップのひとコマです。この学校の子どもたちは貧しい地域から来ていたり、難民キャンプからも来ています。貧困や暴力が日常にあり、出合った子どもの一人は2年前に父親をイスラエル兵に殺され、引き続き母親も殺されてしまい孤児となり、現在孤児院から通ってきているのだそうです。
 ここでは、学級単位の授業などのほか、個別にスタッフが対応するプログラムが様々あり、一人一人の子どもにできるだけ必要なサポートをするようにしているのだそうです。こともが安心を感じられることがまず大切だとスタッフの一人が話してくれました。

希望と花の学校

 きのう4月4日からパレスティナ自治区、ヨルダン川西岸、ベツレヘム郊外にある希望と花の学校に来ています。希望と花の学校は1984年に難民キャンプで育ち、社会を変えるには教育が重要だと考えたフセイン・イッサ氏によって設立された学校です。暴力と貧困、差別により人々の苦しみが耐えないこの地域で、人々が人間らしい暮らしをしていくためには、平和と人権を尊重していく人が増えていくことが重要なのだと考えたのだそうです。
 だから、希望と花の学校では平和と人権を尊重する教育を行なっています。右の写真は希望と花の学校のロゴのようなもので校舎にあったものを撮影しました。

2010年4月4日日曜日

パレスティナより

きのうの夜10:20にイスラエルのテルアビブの空港につき、それから荷物を取り、換金してタクシーに乗り込みました。夜遅いとバスはなく、タクシーしかないと今回お世話になる希望と花の学校のガーダさんから聞いていたのです。空港からのタクシーで国境を越えてパレスティなの都市、ベツレヘムまでいけるということでした。ところが、イスラエルのタクシーの運転手は「パレスティナはイスラエルの警察権が及ばないからそんな怖いところにいくようなイスラエルの運転手はいない」というのです。乗り合いタクシーの運転手に何とか頼んでベツレヘムの国境まで連れて行ってもらいましたが、その運転手さんいわく、「こんな夜遅くに国境にはほとんど人がいないから君たちはここで何んにもないところで夜明かしをしなければいけないだろう、どうしてエルサレムで一泊してから行かないのか」とのこと。でも、結局、国境でパレスティナの白タクに乗り換えて、無事にガーダさんが手配してくれていた宿にたどり着きました。ちょっとした深夜の冒険でした。
 ゆっくり眠ることなく今朝は6時半前に早起きして朝食を済ませ、ベツレヘムの町へ撮影に行きました。この写真は道沿いで野菜を売っているお店の写真です。日曜日の朝なのに仕事熱心ですね。