2012年3月31日土曜日

IDEC2012プエルトリコ⑭

プエルトリコの人たちは歌と踊りが大好きです。IDECもエンディングだけでは幕を引かず、踊りが中心のパフォーマンスがありました。会場の外のオープンスペースに特設会場が組まれ、そこで市長も臨席して行われました。と言っても全く堅苦しい雰囲気ではなく、陽気に盛り上りました。主催のノイエストラエスクエラの子どもを始め、つながっているデモクラティックスクール等の子どもたちが時間をかけて練習をしたというダイナミックな踊りと歌でした。コスチュームもメイクも凝っていて、見ごたえがありました。打ち上げ花火と組み合わせたりして派手さも日本のフリースクールでは考えられないものでした。

IDEC2012プエルトリコ⑬

 今年のIDECの閉会のミーティングでは、次の大会開催国にバトンが渡されました。来年の主催団体は、アメリカ、コロラド州にあるパッチワークスクールです。パッチワークスクールのメンバーが登壇し、いくつか歌を披露しました。写真の左にいる男性と女性は今回の主催団体の代表のフストさんご夫妻で、前に居る男の子はエスパシオaの子どもだと思います。そして、右に写っているギターを手にした女性がパッチワークスクールの代表です。
 このギターはブラジルのIDECから、IDECの主催団体へ送られてきたバトンのようなものです。写真でもギターに文字が書かれていそうな感じがわかると思います。

IDEC2012プエルトリコ⑫

 今日訪問したのはプエルトリコの首都サンファンにある「エスパシオa」というデモクラティックスクールです。5歳から18歳までの子どもを受け入れていて、20人ほどの子どもたちが通っています。常勤、非常勤をあわせて5人のスタッフが居ます。
 町中の複合ビルの2階を借りています。小さい扉を開け、狭い階段を上がって入りますが、中は結構広くて、日本の20人規模のフリースクールよりは広いです。瞑想の部屋、授業の部屋が3つ、スポーツの部屋、キッチン、ダイニング、ロッカールーム、ラウンジ、アートの部屋、、PCコーナー、ベランダ菜園、などがあります。5人のお子さんを持つ代表が、始めはホームエデュケーションをしていたけれど、情報を集めていく中で、デモクラティックスクールを始めたいと思うようになり、5年前に7人の子どもから始めたのだそうです。

2012年3月30日金曜日

IDEC2012プエルトリコ⑪

プエルトリコはカリブ海に浮かぶ島です。大航海時代を経てスペインの植民地になり、米西戦争から事実常アメリカの植民地となってきました。ルーズベルト大統領の時代にプエルトリコにある熱帯雨林を保護することになり、エルユンケという自然保護公園ができたそうです。今日は、大会が企画してこの熱帯雨林に連れて行ってくれました。
 ノイエストラ・ウスキュエラの代表のいとこがツアーガイドを務めてくれました。金融に勤めていたとのことですが、自然に関する知識が豊富な方でした。鳥のような鳴き声のコーキーというカエルがプエルトリコには居ます。鳴き声で雌雄を聞き分ける方法などを教えてくれました。

IDEC2012プエルトリコ⑩

 今回のIDECは初日から次々回のIDECをどこで開くのかという議題を話し合いました。というのは、次回の開催地は前回のイギリス大会でアメリカのコロラドに決まっていたからです。また、決定の仕方で些かもめたということもあり、時間をかけてしこりの残らないようにというような開催者側の配慮なのかもしれません。
 この「IDECミーティング」の進行は今回の主催団体のノイエストラ・エスキュエラの子どもたちが務めてくれました。なかなか難しい進行でしたが、どうどうと進めてくれました。
 次々回、2014年の立候補はニュージーランドと韓国です。韓国は2009年に韓国のオルタナティブスクールのネットワークが主催することになっていましたが、新型インフルエンザのために中止になっています。今回はピョプシスクールというオルタナティブスクールが開催の立候補をしました。写真は、ピョプシスクールのOGが発言しているところです。そして、最終日を待たずに表決しました。ニュージーランドの立候補団体が今回の大会に来ていないこともあり、2014年は韓国に決まりました。

2012年3月29日木曜日

IDEC2012プエルトリコ⑨

 今日は、また、アジア・太平洋地域から参加している人たちの集まりも持ちました。日本以外では、インド、タイ、ミャンマー、韓国、オーストラリア、ニュージーランドから参加がありました。この中で一番人数が多かったのはミャンマーで12人です。政治状況が良くなってきているとはいえ、まだまだ予断を許さない状況にあるそうですが、デモクラティックスクールを作りたい、と考えているのだそうです。この写真には写っていませんが、袈裟姿のお坊さんも参加しています。IDEC終了後はニューヨークに行って、教育関係のプログラムを見学して帰国するのだそうです。

IDEC2012プエルトリコ⑧

 このデモクラティックスクールを設立したのが、写真に写っているフストさんです。交通事故で娘さんを亡くし、悲嘆に暮れている時に、亡くなった娘さんが夢に出てきてノイストラ・エスキュエラという名前の学校を作るように頼んだそうです。
 今や、ノイストラ・エスキュエラは大人の生涯学習センターと保育園を含めると4つの拠点を持ち、カグアス市のデモクラティックシティの計画の中核となる団体になっています。フストさんはそのノイストラ・エスキュエラの代表でしっかりリードしてきている人で、この写真はどちらかというと精悍さが出ています。しかし、普段は、笑顔の絶えないとても親しみやすいお人柄です。