2016年11月16日水曜日

世界デモクラシーフォーラム⑨ /World Forum for Democracy 9

デモクラシーと教育というテーマですが、もう少し方向性があり、社会経済的な格差の拡大、難民、人権、ヘイトクライムなど社会問題への有効性という視点が重視されていました。その中でデモクラティック教育の意義を語ることが望まれていました。とりわけ、アメリカの大統領選挙の結果が報道されると、デモクラティックな社会でのデモクラシーの危機に対して我々はどうするのかという問いが強く意識されました。大会で多くの人たちが言っていたのは、アメリカの大統領選挙が対岸の火事ではなく、それぞれの社会で同様のことが起き得るということでした。日本でもすでにそのような状況が起きている言えます。フランスでも来年の大統領選挙で極右候補として力をつけているルペン氏が当選する可能性が語られています。まさか当選することはないだろうと今まで言われてきました。でも、今回のアメリカの大統領選挙ではまさかが実現したわけです。イギリスのEU離脱もまさかと一時は言われていましたが、離脱となってしまいました。確かに、同じようなことが世界各地で起きてきています。取り残されていて、力が無いと感じている多くの人たちに不満が高まっており、現状を大きく変えてくれる強い候補に投票をするということが起きているのです。フィリピンの大統領選挙もそのように捉えられるのでしょう。強いこと、極端なことを実行するという人、今の状況を変えてくれる人、そのためには強引なくらいでないとできないという感覚があるようです。そこではデモクラシーは軽視されるように感じます。膠着して、デモクラティックな対話的なやり方ではらちが明かない、力のない自分たちが変えられない現状を強力な強引なくらいなリーダーだからこそ変えてくれるのではないかと期待するのでしょう。結局膠着してしまうデモクラティックなやり方ではどうにもならないから、デモクラシーは多少軽視されても仕方がない、という感覚もあるように思います。
 つまり、ヒットラーがなぜ政権を取りえたのかをフロムが『自由からの逃走』で描き、マッカーシー旋風が吹き荒れてリースマンが『孤独な群衆』を書かざるを得なかったのは、ある種のカリスマ性を持った個人を問題視するだけでは状況は変わらないと彼らが考えたからです。今の世界も同じような状況にあります。今回の大統領選で、従来共和党の候補を支援してきた政財界の大物たちでクリントン候補の支援に回った人が少なくなかったといいます。ある種、妥協をしてクリントン候補の支援に回らざるを得なかったわけですが、それでは遅すぎたということなのでしょう。現状をある種破壊的なまでに変えて欲しいと強く望む強い不満を抱く多くの人たちが社会にたくさんいるのです。自由な経済競争を強調すれば、当然、豊かなものが豊かになるのです。そのような経済や社会を正しいものとするならば、経済的に豊かになれない人々は、正しくないまでも豊かでなくて仕方のない人々、応分の責任結果ということになります。そのことに納得のいかなさ、被害をこうむっているという感覚があり、破壊的にまで現状を変えることが正当であると感じるのでしょう。
 ネオリベラリズム的な、70年代以降金融工学を是としてきたアメリカのような風潮が世界の主流になってきた当然の結果です。例えば、ヘイトクラムがなぜ起きるのか、日本を含めイスラム教徒で無い人からもISに参加しようとするのはなぜなのかもっと考えられてよいのでしょう。力なき被害者の多数がデモクラシーへの破壊願望を抱かざるをう得ないのでしょう。力なき被害者の多数と感じる状況が変わらなければいけないことは確かなのです。

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